アレフ・レポートNo.4
ダイアナ暗殺事件の謎を解く
Oh please stay by us, Diana!

第2部 プリンセス・ダイアナと英国王室との確執


1.ウィンザーVSスチュワート

 現在の英国王室は、第一次大戦時にドイツ風のサックス・コーバーグ・ゴーサ(ザクセン・コブルク・ゴータ)家から英語風に名称を変えたウィンザー家である。ところが、プリンセス・ダイアナは、ウィンザー家以前の王家であるスチュワート家の血が濃い。こんなところにも対立の芽は潜んでいたのかもしれない。

 幸福な結婚生活が続いているあいだ、ダイアナはまさにウィンザー家の一員としての責務を果たしていた。しかし、チャールズ皇太子との仲が壊れ、ついに離婚してからは、ダイアナはウィンザー家と対立していた。

young Diana


2.ダイアナとウィンザー家の対立の歴史

●1995年11月19日、BBCで宣戦布告
 「パノラマ」のインタビュー。 ●1995年11月20日 ロンドン「タイムズ」紙
 元編集長ウィリアム・リーズ・モッグの記事。 ●1995年11月21日、ドイツのテレビ番組
 王室ジャーナリスト、モートン女史の発言 ●1995年11月22日、SKYテレビ
 ダイアナ妃の伝記作者、アンドリュー・モートン ●1995年11月24日
 ジャーメイン・グリアの評論「神よ、ダイアナ妃を助けたまえ」 ●1995年11月24日、ダイアナのインタビュー放映。

○「デイリー・テレグラフ」紙
 ニコラス・ソームズの記事
  ソームズはウィンストン・チャーチルの孫、保守党選出の国防長官
  チャールズ王子の侍従を勤めた人物

○「デイリー・テレグラフ」紙
 元軍事評論家で歴史家でもあるジョン・キーガンの社説 ○ロンドン「タイムズ」紙
 世論調査 ○「ベルリーナー・モーゲンポスト」紙 ●1995年11月25日、「ニューヨーク・タイムズ」紙
 イギリスの作家A・N・ウィルソンの記事「ダイアナ妃は何をするつもりなのか?」 ●1995年12月4日、「ニューズ・ウィーク」紙
 ダイアナ妃の伝記作者アンドリュー・モートンの記事「ダイアナ、彼女の孤独な人生」 ●1995年12月6日、ロンドン「タイムズ」紙
Princes Diana


〈第二ラウンド〉

●1997年8月半ば、「ル・モンド」紙
 ロンドンのジャーナリスト、マーク・ロシュの全ページ特集記事「ダイアナがアルファイドと火遊びをする時」 ●1997年8月27日、「ル・モンド」紙
 ダイアナ妃インタビュー  このほか、死の直前数週間にわたって、ダイアナはウィンザー家に関する批判文書をまとめていた。ドディ・アルファイドとのはかない情事もまた、王室をめぐるごたごたから生じたものであった。


3.死の直前の政治的行動

ダイアナさん 前政権批判

    「政治介入」で論争
    前代未聞?一方で擁護論

      読売新聞97年8月31日朝刊より
 離婚成立から28日で1年を経たチャールズ英皇太子(48)と元皇太子妃ダイアナさん(36)が、今度は「政治に口を出している」と非難を受け、論争に発展している。

 きっかけは、仏ル・モンド紙が27日掲載したダイアナさんとの会見記事。ダイアナさんは、自分が続けてきた対人地雷追放キャンペーンに触れ、「現政権の方針は明快」「前の政権はどうしようもなかった」と述べた。

 これに対し、労働党のロビン・クック外相は、「私もダイアナさんを尊敬申し上げている」とエール交換したが、保守党のパトリック・コーマック下院議員は、「将来の国王(ウィリアム王子)の母親が、特定政党にくみした発言をするのは賢明でない」と批判した。

 チャールズ皇太子も、労働党の雇用創出政策に肩入れしていることが報じられ、保守系マスコミから、「政治介入」の非難を浴びた。英王室の政治不介入は、英国の不文憲法の中でも最も重要な原則で、王室メンバーの特定政党支援は重大な問題。

 憲法学者や歴史家の間では、「(ダイアナ発言は)前代未聞。政治への介入は厳に慎んでもらわなければならない」(歴史家のベン・ピムロット氏)との見解が強いが、「ダイアナさんは王室から追放されたのだから、発言に制限はない」(歴史家のアンソニー・ホールデン氏)との擁護論もある。

ダイアナさん 多彩だった活動

    「枠」超えた行動、議論呼ぶ

    読売新聞97年9月1日朝刊
 昨年8月の離婚後は、王室につきものの各種儀礼行事から解放されたこともあり、活動分野を絞り込み、政治的に論議を招く領域に踏み込んだ。

 英国赤十字社と組んでの対人地雷追放キャンペーンは好例で、アンゴラの地雷危険地帯訪問は世界各地に報道され、英政府は地雷製造禁止に追い込まれた。1日には、オスロで対人地雷規制の国際会議が始まる矢先だった。

 チャールズ皇太子との不仲や不倫をマスメディアを通じ赤裸々に語り、離婚後も積極的な社会活動を続けたダイアナさんに、英王室や上流階級は決して好意的ではなく、ダイアナさんの奔放な私生活と相まってその活動ぶりは、しばしば批判の対象となった。ウィリアム・ヘイグ保守党党首が31日朝、追悼の言葉に交じって「論議の多い人だった」と形容したのも、英王室とそれを取り巻く人々の本音を示している。

公務からの引退 示唆していた 英紙報道

    読売新聞97年9月1日夕刊
 1日付英紙デイリー・メール(早版)は、ダイアナさんが事故死の直前、「人生を完全に変えることに決めた」と述べ、公務からの引退を示唆していたと伝えた。

 ダイアナさんと親交のある、同紙王室担当のリチャード・ケイ記者が、死の六時間前に、ダイアナさんと交わした電話でのやり取りを明らかにしたもの。

 それによると、ダイアナさんは、「慈善活動や対人地雷反対運動での務めを果たした後、11月ごろ、公的生活から引退しようとしていた」という。また、「明日には帰国し、学校が始まるまでの数日間、子供たちと過ごすのを楽しみにしている」と話したという。



 ここで、私たちはこの事件がドディ・アルファイドとダイアナだけの問題ではなく、その背後にさまざまな確執が存在していることに気づく。
 では、ドディとは何者か、そしてダイアナの背後には何があるのだろうか。


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(C)AUM Shinrikyo Public Relations Department, 1997-98