アレフ・レポートNo.4
ダイアナ暗殺事件の謎を解く
Oh please stay by us, Diana!

第12部 ドディの父、「陰謀」と断言


●ドディの父、モハメド・アルファイドの証言

 ドディ・アルファイドの父、モハメド・アルファイドが、ついにインタビューに応じた。

 そのインタビューは、イギリスの「デイリー・ミラー」紙98年2月12日・13日に掲載されたものである。

 私は今回の事件が99.9パーセント事故でないと確信しています。あれは陰謀であり、私は事件について正確につきとめるまでは、手をゆるめないつもりでいます。私はこの事件を引き起こした人物を見つけ出すでしょう。ダイアナ王妃とドディが一緒になることを快く思わなかった人もいたのですから。

 私が今申し上げていることは200パーセント真実のことです。イギリス王室は私を愚弄して喜んでいます。彼らの多くは、ダイアナ王妃とドディが殺されてうれしく思っているでしょう。しかし私は申し上げますが、私は病院で彼らの遺体を見たのです。そして私が今話していることは、真実なのです。

 私はドディから、ダイアナ王妃にプロポーズし、受け入れられたと聞いていました。昨年8月30日の午後、二人はウィンザー侯爵・侯爵夫人が以前住んでいた家に行きました。この家は現在、私の所有となっています。彼らはその家に住むことを希望しており、改築を担当していた建築家と会いました。ダイアナ王妃はドディからのプロポーズに同意する前、ウィリアム、ヘンリー両王子の承諾を得ていました。ですからウィンザー家は、チャールズ王子も含め、ダイアナ王妃とドディがパリに出発する以前に、婚約についてはほとんどすべて知っていたのです。

 私はラ・ピティエ・サルペトリエール病院で、手術に立ち会った看護婦に話しかけられました。彼女はダイアナ王妃の手術を行った緊急チームの一員でした。彼女によれば、ダイアナ王妃は手術室で短いながら意識を取り戻し、ダイアナ王妃の姉サラに両王子の教育を委託したということでした。

 私はウィンザー家の対応についても述べたいと思います。私はチャールズ王子、フィリップ王子のどちらからも、弔問の言葉を一言も受け取りませんでした。ダイアナ王妃の兄、アール・スペンサーからもです。

 チャールズ、フィリップ王子と違い、エリザベス2世は私に個人的書簡を送って下さいました。私はウィリアム、ヘンリー両王子に、彼らの人生で最も楽しい休暇の一つをプレゼントしました。にもかかわらず、チャールズ王子は私に話しかけもしなければ、手紙を書こうともしませんでした。これは恥ずべきことでしょう。しかし私は、エリザベス女王とは長年の友人関係を結んでいます。彼女は私にバルモラルから書簡を送って下さいました。それはとても優しい、思いやりある、心からの手紙でした。それについては非常に感謝しています。エリザベス女王については、私は常に、魅力的で、知的で、付き合いやすい方だと考えています。

 今年1月、ハロッズ・デパート(私が所有しているロンドン第一のデパート)には、ウィンザー王室ショーの後援依頼が来ませんでした。しかし王室が私の後援を断った背景に、エリザベス女王がいたとは思いません。この決定を下したのは、彼女の周囲にいる残酷な人々です。そうした人々こそ、ダイアナ王妃は最も嫌っていました。そうした人々は時代遅れのイギリス流儀に固執する人々であり、こうした流儀があるからこそイギリスは遅れてしまったのです。

すぺーどのドディ
 アルファイドはこのように公に「ダイアナ王妃とドディは暗殺の犠牲者である」と言い切った。

 彼のこの態度表明はすぐさまイギリス王室の怒りを買った。ウィンザー家のスポークスマンは憤慨する。
「暗殺話がウィンザー家に多くのストレスを引き起こしている。そのような話を持ち出す必要もないのに!」

 2月上旬、エリザベス女王、フィリップ王子、他の王室関係者は、主要アドバイザー、MI6のトップ将校と会い、王室の今後について話し合った。

 「ウェイ・アヘッド・グループ」は王室内部の政策立案グループとして知られている。このグループは97年9月2日、ダイアナ王妃とアルファイド家の関係を断つ戦略を話し合う予定だった。

 97年8月31日の「サンデー・ミラー」紙によれば、MI6上層部は、スコットランド・バルモラル城での会議で、MI6がドディ・アルファイドに関して集めた醜聞を発表する予定だった。同紙によれば、ダイアナ王妃とドディとを引き離すよう最も熱心に訴えたのはフィリップ王子だったともいう。

 MI6と王室は、2月の会談で何を狙うことにしたのだろうか。


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(C)AUM Shinrikyo Public Relations Department, 1997-98