アレフ・レポート No.02
オクラホマ連邦ビル爆破事件

●資料3 アルフレッド・P・マラー連邦ビル爆破損害分析

1995年7月30日

by ベントン・K・パーティン米空軍准将(元)


 1995年4月19日、オクラホマ州オクラホマ・シティのアルフレッド・P・マラー連邦ビルが爆破された。建物は大きな損害を受け、168の罪なき命が奪われ、家族は愛する者を失い、数百人が致命的ではないが傷を受け、付近にもかなりの損害を与えた。

 「破壊の唯一の原因は、4800ポンドの硝酸アンモニウムで作られた一台のトラック爆弾によるものであり、それはライダー・トラックで運ばれてきてビルの前に停車したのだ」とメディアおよび当局は報告している。だが、ビルへの破壊をそのような爆弾だけで引き起こすことは、不可能なのだ。

 マラー・ビルに起こった破壊状態を作るには、トラック爆弾による損害を補強するため、通りからは接近できない位置にあるいくつかの柱に仕掛けられた破壊装置がなければならない。実際、倒壊した柱の根本の写真を詳細に検討してみると、トラック爆弾からの爆風によってではなく、破壊装置によって引き起こされた破損状況が明らかになる。

 マラー・ビルへの損害を起こしたものを理解するには、爆発物の使用法と性質についての基礎を理解する必要がある。

 第一に、空中を伝わる爆風は、超強化コンクリートの梁や柱に対しては極めて非効率的なエネルギー結合の仕組みである。

 第二に、爆風による損害能力は、距離の3乗に反比例する以上に急激に減退する。従来の兵器開発において、強固な目標を屈するために正確さが求められたのはこのためだ。また、世界貿易センター爆破(爆風の損害はトラック爆弾のみによるものだった)で、焼け出された空間の中心にあった柱が比較的無傷であったのに、爆発地点から数階上下にある強化コンクリートの床は完全に引き剥がされていたのも、このためである(Time Magazine, 3-8-93, p 35参照)。

 これとは対照的に、強化コンクリートの梁や柱と接した爆発物の爆発によって、超強化コンクリート建築は効果的に破壊されうる。例えば、百あまりの比較的小さな装置を柱にドリルで明けた穴に入れることで、オクラホマ市に残っていたビルすべてが取り壊されたのである。その装置の総重量は、200ポンド台であった。

 高速接触爆発物の高い爆発からの爆発衝撃波の圧力(1,000,000〜1,500,000ポンド・毎平方インチ)は、圧力による崩壊を起こす衝撃波として柱を吹き飛ばす。崩壊を引き起こす衝撃波の圧力は、コンクリートの強度(約3,500ポンド/平方インチ)をはるかに超えて約300倍に達するため、衝撃波がコンクリートの強度を打ち負かすだけの力を失うまでにコンクリートは粒状の砂とちりになってしまう。強化棒に接している接触爆発物の効果は、顕微鏡でやっと見えるほどの冶金学的試験でのみ見ることができるほどである(棒は爆発の間に慣性の制約を受け、基本的にさらに高い強度と柔軟性が働くために残存する)。

 空中からの衝撃波結合と圧力によって強化コンクリート建築物が損害を受けた場合、損壊状況はふつう、圧力によって一方の面が砕け、反対側は引き伸ばされ、双方ともに裂け目があって表現が粗く破砕されているのが特徴である。そのような表面の手触りは、接触爆発物による比較なめらかな粒状の表面とはまるで違っているのである。


グラフによる証拠の分析

 ビルを西から見た断面図がある。非常に大きな大梁が三階の北の端に見える。大きいが、それより小さな梁が、2階のへこんだ北の端、列Aの大きな柱まで伸びている枝梁とともに見られる。ビルの正面全体がガラスである。

図2は、マラー・ビル1階の図面と、トラック爆弾を中心に、大体同じレベルの損害が発生すると思われる同心円を描いたものである。爆発力は、トラックから距離が遠くなるにつれてその衝撃が急速に(距離の3乗に反比例して)低下する。放出波のあと、衝撃に直面する部分が距離の2乗に反比例する割合で広がっていく。

圧縮されて中心から爆発したのであれば、4800ポンドの硝酸アンモニウムから最大限の破壊力が得られたことであろう。その場合、1平方インチあたり約50万ポンドの圧力がかかるのは、直径4.4フィートの球の範囲ということになる。爆風が最も近い柱を襲うときには、圧力は1平方インチあたり375ポンドにまで落ちている。それは、コンクリートの強度を超える3500ポンドの圧力には遠く及ばない。だから、トラック爆弾で破壊できなかった柱や梁にはいずれも、爆風による構造的な圧力がかかっていたが、それはコンクリートが変形するほどの圧力ではなかった。

建物の基本構造は、各列11本ずつ(20フィート)の3列の柱(35フィート間隔)がある。柱の四隅は、通風口などのために外部にむけてハマグリの殻のような構造になっている。ここで仮に前列から後ろに向けてA、B、Cと名づけ、向かって左から右に1から11まで番号をつけることにする。すると、A2、A3、A4、A5、A6、A7、A8、B3の柱が、基本的に垂直に倒壊したことになる。断面図では、柱列Aの3階の床の高さで、非常に大きな強化コンクリートの梁がある。さらに大きな柱が、奇数番号の柱(A3、A5、A7、A9)の梁から外に伸びている。ビルの基盤は重い鉄筋コンクリートの平板で、地下はない。

図2に描かれた、損害を受ける可能性のあった輪郭線と、トラック爆弾だけであったという仮定からすると、B4・B5・A7の柱を崩壊させた圧力と衝撃は、1平方インチあたり25〜35ポンドの範囲にあることになる。しかし、もっと小さく、近くにあるB4とB5の柱が残っているのに、もっと大きいA7が倒壊しているのだ。B3の柱はB4の柱と比べて42%の圧力と衝撃で倒壊している。これらの事実は、B3とA7の柱に爆破装置があったと考えるに足る十分な理由となる。それだけでなく、3つの柱を倒すだけの十分な爆風の衝撃がなかったのだ。実際、B2、B4とB5はすべて、岩のシートや毛皮で仕上げた表面が、落下する残骸によって破壊された部分以外の2階・3階でそのまま残っていたのである。

A列3階でビルの正面を横切っていた大きな梁は、このような巨大な爆弾で予想されるようにビルの内部に吹き飛ばされていたのではなかった。梁はまっすぐに落ち、90度後ろに回転していた。梁の上の柱が、真ん中より後ろが残っていたからである。


写真証拠からの分析

 

A列の柱と、3階からの大きな梁の写真を仔細に検討すると、絶対的に爆風の衝撃波が粉砕したのではないことが明らかになる。それはトラック爆弾から距離があるために圧力が減退しているからだ。吹き飛ばされた建物の写真(図4)では、屋根を横切る損害ラインがすっかり地面に落ちてしまっているが、それはB4とB5の柱の周りはそうではない(2階・3階部分だけは、トラック爆弾からの爆風で破壊されているが)。梁と床から引き剥がされた強化棒がすべて床まで落ちてしまっている。A3、A5、A7、B3の柱は、まっすぐに崩れ落ちており、まさに3階の柱B3と、3階の柱A3、A5、A7の梁に、柱に接した破壊装置があったという明白な結果を示している。A列の偶数番号の柱(A2、A4、A6、A8)は、3階で梁によって支えられていたためにまっすぐ崩壊している。そうなるためには、柱A3、A5、A7に接した破壊装置によって崩壊したのでなければならない。A2からA8までの柱がまっすぐ下に倒壊したとき、天井と床の崩壊ラインは、すべての階で即席の蝶番のようになっており、崩壊したすべての階で、柱列Bに対するわずかな引っぱりを生じさせていたようだ。柱B3の崩壊のために、床は柱B4・B5の北側に近い部分で刈り込まれている。それは、落下物のために、3階の高さでB4とB5の柱の岩のシートに損害を生じる結果となった。

柱B4とB5の後ろのいわゆる「くぼみ」エリアは、1階の天井・2階の床を吹き飛ばしたトラック爆弾からの爆風によるものか、あるいは柱B3の接触爆発物によるものである。3階の床から、多くの破片が落下しているところまでが「くぼみ」のように見える。この部分の爆風の圧力は、床の強度を超えるには十分なだけあった。B列の20インチ鉄筋コンクリート柱のまわりの鉄筋コンクリートの床の厚みだけでこの圧力に耐えた空間は広い。1階の床は、下向きに吹き飛ばされなかっただろう。それは土の詰まった重いコンクリート板だったからだ。A列とB列の間で、トラックに近かった1階の天井と2階の床は、最初上向きに吹き飛ばされたかもしれない。

トラック爆弾は、柱を破壊するのに十分な力を持っていなかったが、2階と3階の床を吹き飛ばすには十分な力を持っていたのである。


破壊装置の証拠写真

 次に、図5で、建物内部の破壊装置について見てみよう。ここで、柱A9には、爆風の圧力に巻き込まれたのなら当然起こりそうな剥落がなく、装飾の刻み目が傷ついていないことがわかる。柱の上と梁を横切る溝にも注目。柱A7に仕掛けられた爆破装置が爆発したとき、40フィートの片持ち梁は柱A8を支えるかのように残った。落下する柱と梁は、おそらく端で折れて、ガタガタの割れ目と粗い表面の構造的崩壊を起こしたのである。装飾された溝の間、1階の梁の後ろに、柱の背後から伸びている見えない大きな梁がある。この梁は、列Aの奇数番号の柱の下部にかなりの強度を加えていた。

 次に図6で、柱B3の切り株が野ざらしになって、3階の鉄骨が見えている。3階からの巨大な梁がほぼ真下に落ち、柱A3の右に破壊装置による損害があった明らかな証拠を示している。さらされた鉄骨は、柱A3の右、梁の端にはっきり見える。爆発物によって梁と柱が結合点から約2フィートまで粉々になったことがわかる。柱A3は、はっきりと伸びた鉄骨を見せて立っている。また、建築上の装飾部分が、傷つかずにはっきりと証拠として残っている(その強度を超える爆風はなかったということだ)。この写真では、柱A5の梁の破損が破片に覆われていて見えない。しかし、柱A5の両側にある梁の角度が不連続であることは、梁A5との結合部で壊れたことを示している。

 図7は、柱A5の位置での梁の損害を拡大している。それは、トラック爆弾によるクレーターに最も近い柱である。人が乗っている梁の端は、柱A5の結合点に破壊装置があったことの証拠である。梁の連結部が数フィート、爆発物によって吹き飛ばされ、その端は破壊されて倒壊している。トラック爆弾からの爆風の圧力なら、1平方インチあたり400ポンドしかないが、それはコンクリート強度の10分の1である。

 図8は、柱A7と梁の結合部での損害を拡大したものである。同じ能弁な破壊装置の証拠がはっきり見える。結合点の装飾されたまっすぐな端が、柱と梁の両方に見られる。

 このビルの撤去作業にアドバイザーとしてほとんどずっと立ち会っていたビル建築家との議論の中で、残りの部分は構造的にしっかりしていて、マラー・ビルは再建できたかもしれないと聞いた。これは、与えられた構造的損害はごく一部に限られているために、破壊装置のある柱だけが崩壊したというのと一致している。

上記の議論は、マラー・ビルの鉄筋コンクリート構造のみについて語っている。鉄筋コンクリートの柱は、高性能爆薬爆弾の標的としては頑丈すぎる。爆風の圧力を受ける範囲が広くて質量の低い建物ならば、大爆発によってかなりの範囲が破壊されるだろう。ガラス、しっくい、軽い建物がマラー・ビルからかなり離れた所でも壊れたのはこのためだ。しかし、鉄筋コンクリートの柱は無理である。爆風の5ポンドの圧力は、木造家屋なら倒壊させたことだろう。


地震計表示

 地震計表示についていろいろなことがいわれている。爆発は1つだけではなかったのか? 私がオクラホマ・シティで話した多くの人は、ごく近い二つの爆発があったのを聞いている。近くにいた人の中には、爆発音を聞いたことのない人もいた。これはおかしなことではない。2"×4" で耳を通りすぎるような強烈な衝撃波に強打される場面を考えてほしい。爆破装置は電子的な音を立てるのではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、もしそうだとしても、地震計では区別するのが難しいだろう。もし遅れて使われたのなら、それは分かれていることだろう。もし建物の中で敏感なスイッチが使われていたなら、爆発は明らかだったかもしれない。爆弾の始動が、同時または分離のどちらでもできるように設計するのは簡単だろう。


結論

マラー連邦ビルは、一台のトラック爆弾で破壊されたのではなかった。その破壊の主要原因は、ビル内部の支えとなる柱の四つの致命的な結合点に注意深く置かれた爆発物の爆発によるものだったようだ。トラック爆弾だけが原因と考えられる鉄筋コンクリート建築の破壊部分は、柱B4の後ろと側面にできた、一階の天井と二階の床をひきはがした「くぼみ」だけである。これも、柱B3の破壊装置によって引き起こされたものかもしれない。

不運なことに、別の爆弾による損害の調査は、ビル取り壊しのとき、5月23日にビルが爆破されて数百のトラックが破片を運んでしまい、粉々になって防護フェンスで囲われる以前にはなされなかった。図4の写真が撮られたとき、爆発物の証拠すべて(つまり、柱B3、A3、A5、A7、さらに柱A3・A5・A7と梁の破壊された結合点の切り株)がビルの場所から取り除かれた。

補足の爆発物の使用、そして使われたトラックの型をFBIが迅速に解明したことにまつわる曖昧さは、このひどい悲劇的事件の範囲にある監視カメラが隠匿されたことによるものである。


Benton K. Partin 略歴

8908 Captains Row Alexandria, Virginia 22308

 31年間空軍勤務。兵器システムの研究・開発・試験・分析・必需品更新・調達管理に携わる部門を指揮するという実務的・科学的・技術的な任務における責任者。研究所から国防省へ任命。

 研究・開発管理、兵器システムのコンセプト、誘導兵器技術、目標補足補助、焦点集中エネルギー兵器、オペレーションズ・リサーチ、必要物資調達の部門間共同の調節などの分野で個人的に活躍。准将として退役。

 ホワイト・ハウスは、連邦航空局管理者特別補佐に任命。1989年、大統領移行チームのための連邦航空局白書の準備を個人的に指定された。これは、総合配備システム(GPS)の連邦航空局/合衆国空軍の共同使用についての方針発議の検討、商業用航空機のための使用期限、反テロリズム、空港と空路の能力、連邦航空局における必要物資獲得過程、連邦航空局のリーダーシップと管理の向上も含んでいた。

4000時間(37戦闘)の軍事コマンド・パイロット、コマンド・ミサイルマン。

学歴:
理学博士(化学工学)
理学修士(航空工学)
博士号候補者(オペレーションズ・リサーチと統計(大学は終了))

出版物/TV
『中ソ対立』『競争と協力:軍事組織計画におけるリスク』
「自由の声(Voice of Freedom)」でのTVトークショーに頻出。

賞:
殊勲章
勲功章(三回)
殊勲卒業生――空軍大学

公共的任務:
合衆国防衛委員会議長
国際タッチ・ミッション委員
前線奨学金委員
イングルサイド・キリスト教学校の学校理事会創設議長
国際キリスト教学校連合ワシントン代表(1981-1983)
共和党フェアフォックス郡議長(1982-1986)

生涯の研究目標:
世界の軍/政治/経済の変化のプロセスについての未来予測を予期・予測するための研究・分析を続けている。


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